ご挨拶
自己紹介として、士業らしからぬ、空想めいた、おとぎ話のようなことから、はじめさせてください。
今のところ、この世界で最も呪文に近いのは、言語としての法だと思います。
「法のいうことは絶対だ」ということが言いたいわけではなく、「単なる言葉が、現実世界に効力を持つこと、効果を発揮するということそのものが、魔術的だ」ということです。
例えば、「人権」という概念があります。それは心臓のように、人体を開けば物理的に目に見えるものでも、触れられるものでもありませんが、言葉がその概念を作り上げ、脈を打たせ、血を通わせています。
そうであれば、法は、使い方次第で、祝詞にもなり、誰かの人生を狂わせる呪いにもなりえます。
一介の行政書士が、おこがましくも申し上げるのであれば、法律の専門家の第一の資格は、「言葉にはそういう力がある」と心から信じることができるかどうか、ではないでしょうか。
多くの本好きの子供がそうであるように、子どもの頃の将来の夢は、小説家でした。
思春期に役者を目指し、大学では役者をしつつ戯曲を書き、そして色々な挫折があり、20代半ばにして、厭世的な心境があり、占い師になろうと思っていました。
そこから、紆余曲折があり、士業を志すことになるわけですが、税理や会計の世界ではなく、法学の方面へ足が赴いたのは、これまでの人生、常に言葉が共に居てくれたように思えたからかもしれません。
法律の勉強をはじめてすぐに思ったのは、なんて言葉に誠実に向き合う世界だろう、ということです。誠実は、もしかしたら少し言い過ぎかもしれませんが、少なくとも、真摯であろうとする姿勢があります。
そうして一言一句考え抜かれた、例えば法文は、様々な出来事、人生への想定があり、人類の歴史と叡智の結晶、呼べるかもしれません。
政治的立場はさておき、私は日本国憲法の前文が好きです。稚拙な言い方になりますが、「なるべく色んな立場の、多くの人のために、一生懸命考えた」ことが強く感じられるからです。
物語を通じて人の心を動かすという婉曲的な戯曲という手段よりも、人の幸福を願いながらも不確かな言葉を告げることしかできない占いよりも、よっぽど現実的で直接的で、意味があることかもしれないと思いました。
法律の世界における言語は、私がこれまで慣れ親しんできた、詩的で比喩的で曖昧な表現とは真逆です。しかしながら、このような人間が、専門家の一端として活動することが認められたことにも、なにかの意味があるのかもしれません。
これからの人生は、例えば『シンデレラ』というおとぎ話を作るのではなく、現実世界で、法という呪文をもって、一人の人間が「舞踏会に行く」というささやかな夢を叶える手伝いをすることにします。
むかし、『ドラえもん』という漫画が好きでした。小学生のころまでは優等生だった私は、当時は、残酷なことに、のび太に感情移入をすることができず「なんでこんなことができないんだろう」と思いながら読んでいました。当時の私にとって、あの物語は、シニカルなギャグ漫画であり、のび太の人生は喜劇でした。
それから、時は流れ、自分が優れていると勘違いしたり、才能があると思うには、多くの挫折をしました。
「となりの行政書士法務事務所」の「となり」は、のび太の傍らに立つドラえもんのような、そういうイメージです。
自分自身が、あまたのひみつ道具を持った、便利で有能なロボットだとは思っていません。
でも、私もあなたも、誰もがのび太ではありえます。
ほんの少しの得意なことがあり、たくさんの苦手なことがある。
もう駄目だと思う夜もあれば、一念発起する朝もある。
一歩進んで二歩下がるような時期があり、「普通の人」と「ちょっと変わった人」の間を行ったり来たりしている。
自分自身がのび太の一人だと痛感して、切に思うのです。
こんな人生には、肩を叩き、背中を押し、相談に乗ってくれるドラえもんが絶対に必要だ、と。
『僕が僕のまま、生きていけますように』
そんなささやかな願いを、手続き面からサポートすることが、行政書士という職務の根幹であると、私は考えています。