簡単な経歴

埼玉県立秩父高等学校卒業後、立教大学現代心理学部映像身体学科へ進学、在学中にインターネット系の小さな会社でインターンを開始、卒業後同社へ入社。

【なにをしていたのか】

エンジニア社員が大半の中、経営と専門職(プログラミングとデザイン)以外の「何でも屋」のような部署で、殆ど何でもしておりました。取引先を訪問し、見積書を作り、サービスのコピーを考え、システム改善案を出し、システムテストを行い、等々。

新入社員は数年ぶりで私一人、当然新人研修などは無く、社外メールの書き方も、見積書のフォーマットも、契約書の見方も、全てグーグルに教わりました。

周りは東大卒のエンジニアばかり、女性社員は二人だけ、社長の鶴の一声で朝令暮改、というタフな環境でした。

「わからないことは人に聞く前にまず調べろ」
「ロールモデルなんかいない」
「自力で成長できないなら、扱いはそのまま」

辛いことも多かったですが、これらを学生を終えて最初に叩き込まれたことは、これからの時代を生きていく上では、都合がよかったかもしれません。

ただ、何をしていても、どんなにできることが増えても、「この仕事が人の役に立っている」という感覚に乏しく、心身の不調もあり、2年半ほどで退職することになります。

【コールセンターのオペレーターとして】

その後、当面の仕事としてコールセンターのオペレーターのアルバイトを始めます(結果として五年以上その仕事を続けることになるのですが)。大手生命保険会社の保険金請求部門(その末端ですので決して高給取りではありません)でフリーダイヤルに全国からかかってくる電話を取り続ける、という日々です。くしくもコロナ大流行のさなかでしたので、自宅療養者等の医療保険請求も多く、最も状況が厳しかった時期は、一日60件ほどの電話に対応しておりました。

職業をコールセンターのオペレーターと名乗ると、カスタマーハラスメントを想像される方もいらっしゃり、「大変でしょう」と労いをいただくことも多かったのですが、行政書士との関連で特徴的だったのは次の二つです。

1.医療と債権と相続の絡む現場であること

電話をされる皆さんの一番の関心事といえば「自分は保険が下りるのでしょうか?」ということです。しかしながら、私共は医師でもなければ、支払査定を行う立場でもありません。申込時の告知書(病歴)すら見ることができない立場です。「あなたの場合、がん保険は100パーセント出ます。ご安心ください」とは、どんなに言って差し上げたくても決して言うことができません。「約款の規定に照らし合わせると要件は満たしています/要件は満たしていません。書類をご提出いただき、その内容で判断させていただきます」がギリギリのラインということになります。(この立場は弁護士でもなければ行政主体でもない行政書士の立場と非常によく似ていると思うのですが。)

また、死亡保険金の請求などでは、家族の複雑な事情が出てくることも当然あります。しかしながら債権と相続が絡む以上、必要な情報であれば「聞かれたくなさそうだからこれ以上訊ねるのはやめておこう」ということはありません。快適な時間を提供することよりもまず「誤った情報をお伝えしない」ことが最優先だからです。(もちろんその両立が出来れば一番いいのですが…。)

おのずと「立ち入ったことをお伺いして申し訳ないですが」とか「お差し支えない範囲で結構ですが」といったクッション言葉を大量にストックし、適切な場面で出し入れし、極力不快な思いをさせることなく、必要な情報を伺っていく技術を身に着けることになります。

2.日本全国津々浦々老若男女とコミュニケーションをとり続ける現場であること

最初の数年は、これが苦手でした。大阪の下町のおじさんにも、東京の高級住宅街のご婦人にも、福岡の繁華街のお兄さんにも、同様に好感を持たれる話し方なんてものがあるんだろうか、と色々と考えましたが、最終的には明るさと誠実さに勝るものは無いと思うようになりました。

これまで電話で話してきた人数は、累計で三万人を優に超える計算になりますが、東京にいながら、電話一本を通じて、これだけ多くの全国の方々とお話しする経験を得られたことは、私の財産であり、とても有難く思っております。

他にも副業でメルカリで販売をしてみたり、植木屋を手伝ってみたり、神社の巫女をしてみたり、喫茶店でウエイターをしてみたり、いろいろな事をやりました。

チームやプロジェクトを動かすマネージャー的経験や部下育成の経験は、殆どないかもしれませんが、行政書士という専門職で小規模の自営業をしていく上では、必須ではないとも考えています。